スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

病理診断が来た2

血液・腫瘍内科へ

担当のM先生。体が大きく穏やかな感じ、ちょっとムーミンのようだ。いや、トトロかな。。

骨の異常がないか、そして血液に形質細胞が増殖してないか詳しく調べるため全身のCT、骨髄・血液の検査を行なうことに。

「検査で異常な形質細胞が発見されなければ、放射線治療で大丈夫ですよ」

あれ??それまで自分の病状をかなり深刻に考えていたが、これは良い方向に向かうのか?そんな思いが頭を過ぎる。

とりあえず治療・病棟はそれまでと変わらず、放射線・テモダールを続けていくことになりました。
(その後テモダールは中止)


ただ、病理結果について、可能性としてはあり得るけど本当に形質細胞腫なのかなぁ?先生は不思議に思っていたようです。もともと年配の方に多い病気、そして症例のない脳への発症等々。

自分にも少し疑問があり「形質細胞性腫瘍は一般的にゆっくりと進行していく」そんな内容をネットで見ていた、手術後一か月で五ミリまで成長って・・ちょっと違うような。

先生にその点を質問すると「そうなんだよねぇ」 そうですよねぇ・・。

でも、それまで想定されていた最悪性の脳腫瘍に比べ明るい兆しが見えたのは確かだった。

翌日、治療は放射線のみでOKとなりテモダールの内服は中止。
放射線治療も計30回から25回に変更となり久々に良いニュースが続く。



~現在~
その後も病理検査の機会があり、自分の病気はやはり「形質細胞腫」と診断されました。
ただ、未分化で成長の速度が早い・放射線の感受性が低いことなど「?」な点も多く、グリオーマの可能性も少し残っているという微妙な状況です。結局何者なんだろう・・・。



アジカン-No Name-
http://youtu.be/BBZWy1wbOhs
スポンサーサイト

病理診断が来た

七月下旬。放射線・テモダールによる治療を始めて10日ほど立ったころ、病理の結果が来た。

手術から一か月半かかった病理。
判断が難しく3か所の大学病院を渡り歩いた我が腫瘍、その結果は如何に・・・。

ようやく来たか・・結果を待っていたが知るのもすこし怖い。

いつもの個室に行くとB先生は微妙な表情をされていた。

診断の結果は「脳の形質細胞腫」との事・・・なんだそれ?それまで聞いたこともない名前だった。

形質細胞は白血球の一種であるリンパ球から分化した細胞で、代表的な病気は「多発性骨髄腫」というものです。
これは骨髄・血液の中で形質細胞が異常に増殖して全身の骨を蝕んでいくという結構恐ろしい病気。。

ただ自分の場合、血液検査に問題がないので多発性骨髄腫の可能性は低いとの事。

形質細胞腫は単独でも起こりうる病気なので、脳に単独で発生したものであろうとのお話。


自分の病気は血液の病気(がん)と説明をされました。


あまりにも予想外の展開でした。先生もこの症例は見たことが無いとの事。。
今後、血液内科で検査をするが治療方法、場合によっては病棟も変わるかも。そんな話をされる。


結局、話された内容が自分にとって良かったのか、それとも悪い内容なのかその時点ではよく分かりませんでした。






脳神経外科病棟の半数の方は脳腫瘍患者で自分もその一人だった。

病棟内には病気が進んでしまった方も入院されている。

病室の入り口は常に開いているので、すこし大きめの音は室内に聞こえてくる。

消灯後、女性の声が聞こえてくることがあった。

主に何かを訴える言葉が多かったが、ある時から女性の話す言葉は一つになった。
「お願いします、助けてください」
消灯後、同じ言葉を何時間も繰り返している事もあったと思う。

家族の方や看護師さんが近くにいるときにその言葉を聞くことは無かったが、女性が一人の時間帯によく聞こえてきた。

その女性は人との会話が難しい状況だったと思う。
何か用があってその言葉を続けてたのかもしれないけど、自分にはその声が心から助かりたいと願う強い気持ちなのだろうと思った。

助かりたい。医師に悪性と言われ気持ちが沈んでいたころ自分も強く思ったこと。


ある日病棟を歩いていると、声を発し続けている女性にB先生が話しかけていた。

「大きい声出してどうしたの?」B先生は優しい笑顔で語りかけていた。

自分を助けてくれる先生。そう思っているのかどうかは分からない、でも女性はとても穏やかな笑顔でB先生を見つめていた。


無愛想な自分

治療を始めたころ、入院当初の患者さんは皆退院をされていて、いつの間にか自分は病室内で古株になっていた。

自分の病室は、病棟の中でも自分の事は自分で出来るあまり手の掛からない比較的軽い方が多かった。
(各々病気を抱えて入院をしているが)

ヘルニア、神経痛、脳血管のつまりが見つかり検査入院中の方等々、手術をされた方も二、三週間で退院をしていく。
病室内で脳腫瘍の患者は自分だけ、そんな時期もあったが室内にはあまり重苦しい雰囲気もなくその点ではよかったと思う。

一見元気そうな自分を見て気軽に話しかけてくる方も。

「どんな病気で入院してるの?」

自分の状況を説明すると、大抵の方は「・・・」場の空気が重くなる。だよねぇ~。。

最初の内はそこそこ説明していたが、その後はあまり自分の病気について語らなくなった。
脳の病気で~くらいに軽く答え濁す。

入院当初は朝の挨拶に始まり周囲の人と気軽に話していたが、徐々に病室の方と関わらないように。。



自分が入院して間もない頃、病室には脳腫瘍で長期入院中の男の子がいて、お父さんが常に付添い夜は簡易ベッドで眠っていた。
その子は先生・看護師さんの問いかけに多くの場合素っ気なかったが、たまに見せる笑顔は可愛らしく、夜にはお父さんと楽しそうにテレビをみて、お母さんとの電話ではとても無邪気な声で話をしていた。

お父さんはとも穏やかな方だったが、自ら周囲の方に話しかけることは無かった。

入院生活が長くなってきた頃、その親子の気持ちが少し分かった気がする。
自分の場合、看護師さんと話すのは楽しかったが・・・。

放射線・テモダールの開始

朝五時半、看護師さんに起こされテモダールと吐気止めを飲む。

午後に放射線治療へ。

マスクをして三か所に照射する。準備など含め治療にかかる時間は五分~十分、照射の時間は一か所につき五秒くらい。聞いていた通り、痛みも何もありませんでした。

治療の室内ではいつもJ-POPやクラシックなどが流れていたが、なぜかaikoが多かった・・技師さんで好きな方がいたのかな。


照射後、初日は何も感じなかったが二日目以降、徐々に体調の変化。

ムカつき・軽い吐気を感じるようになり、今まだ物足りなかった食事は半分が限界に。

米を食べるのが難しく、朝・昼の食事をパン・そばに変えてもらう。
それでも厳しい時にはウィダーインゼリーが主食に・・。

治療数日目、目覚めると具合が悪く起き上がる事すらできなかった・・。食事を運ばれてもその匂いに気持ち悪くなり、見るのもいやな状態に。。起き上がるのに二時間ほどかかる。その後、看護師さんに状況を伝えると、「点滴などの処置も出来るので具合悪い時はちゃんと伝えてください」心配をされ同時にちょっと怒られる。。

夜、眠る前にも妙な感覚。。眠くなり目を閉じると頭がぐるぐる回り気持ち悪くなる。自分は眠りたいのに・・寝ようとすると頭が回る・・・眠れん、つらい。

放射線科の先生に話をすると、宿酔によるものだから数日で良くなると思うとのお話。
実際、治療から一週間たつころには体が慣れ症状も軽くなってきた。

再発後に感じていた頭痛、首・肩の凝りをB先生に相談してみる。
新たな腫瘍はまだパチンコ玉くらいで頭痛を感じる大きさではない、頭痛も肩こりもストレスに因るものだよ。

そんな話をされ、肩こりには湿布を出してもらう。
「ストレスなのか・・・まぁ今までの状況を考えたらストレスも溜まるわな」納得。。




~食事~

病院食に期待はしていなかったが、食事はいつも美味しく放射線治療前までは残さず食べていた。

気になった点は日によって米がとても柔らかい・・年配の方が多いしこれは仕方ないかも。

そして、いんげんの和え物・大根の煮物、この二点の割合が半端なかった気がする。いんげんにはがん予防の可能性があるからか・・それにしても頻度が高く、ちょっと嫌いになってしまった。。




アジカン
http://youtu.be/TGQxceoZ3N8

放射線・テモダールによる治療の前日。

夜にB先生、そしてT先生の後任M先生が病室へ。

B先生の目にはいつも感じる力強さがなかった気がする。
「明日からだね・・頑張ろう」自分の状況を考えれば、かける言葉も難しいだろう。


久々の病室での夜。

それまで病気になった自分を憐み・同情したことはなかったと思う。

でも、治療前日のこの日だけは違った。病気を発症してからの事を考え、とても悲しい気持ちになる。

どうしてこんな事になってしまったんだろう? なんで自分が数万人の一人に? もし自分の腫瘍が当初の見立て通り良性の物であったなら。再発なんてしなければ。頭の中で色々な、なんで?どうして?たら・れば、が渦巻く。


消灯前の病室、カーテンを閉めたベッドで声を殺して泣いていた。

食べておこう

入院前日、嫁と外食。

放射線・抗がん剤の治療期間は一か月半。

またしばらく入院生活になるし、治療によって食欲も落ちるだろう。

今の内に好きなものを食べておこう、とりあえず病院では出ない刺身。
地元の安くてうまい寿司屋に行き堪能。。
その後ホルモン屋・カラオケと続き、酒に弱くなったか家に帰る頃の記憶はあまりない。。

翌朝、完全に二日酔いの状態で病院へ。

治療でムカつき・吐き気の副作用が出ることを聞いていたが、治療前日に自ら体験。。
うう・・具合悪い・・・病室のベッドで休む(ちょっと使い方が違う)


レッチリ- Can't Stop - 
http://youtu.be/nKp0uwiD6uc

ハワイに行きたい

結婚後、軽く出かけたことはあったが、きちんと新婚旅行には行っていない自分たち。

退院したら旅行に行きたいなぁ。どこが良いだろう、自分も嫁も海外に行ったことがなかった。

ハワイに行ってみたい。。

再発をする前、間もなく退院できるだろうと二人とも考えていたころ、そんな話をしていた。



その後、再発を告知されお互いに茫然として帰宅。

この先どうなるんだろう?自分たちが置かれた状況に絶望する。

嫁の言葉「ハワイ、行こうね」

その先、治療をしてもどうなるか分からなかったが、たとえどんな状況でもハワイに行こう、そう思った。

出掛ける2

K夫妻を訪れその後、千葉のM夫妻の元へ。
Mさんは自分にとって友人・そして兄のような存在。

千葉で有機農業を営んでいるMさん。畑を見学して手伝ったり(三分ほど・・)採れた野菜で奥様の美味しい料理を頂いたり、数日間ゆったりとした時を過ごすことが出来ました。

病気について思っていることを色々と話した。

話しの中で、Mさんの言葉「今は周囲の人に甘えまくっていいんじゃないかな?」

病気を患ってから、自分はその苦しみや悲しみを周囲の人にさらけ出す事はあまりなかった気がする。置かれた状況を理解し伝えることはあっても自らが感じる辛い気持ちを表には出さず泣き言も吐かない。
そんな自分を分かっての言葉だったと思う。もっと甘えればいいのかも・・。

ただ、投げやりって訳ではないが病気に対して淡々とした部分もあった。
発症・手術・再発、その告知を受けた時こそショックを受け落ち込んだものの、その後に思うのは、なってしまった物はしょうがない、先生の話に納得したらあとは示された治療をこなして行く。

闘病という言葉も自分にはしっくりこない。元々は自分の中から出来た異物。気持ちとしては、君は自分には不要だからどこか行ってね、そんな感じでしょうか。。(結局一緒か・・)
突然発生し無秩序に増殖を続けるガン細胞、宿主を苦しめ強力な物は死に至らせ自らも滅びる。ガン細胞、君はいったい何者だ??

気持ちにゆとりがあったのは常に出来得る治療を示されていたからかも。出来ることは全てやり尽くしました、でも治りません。そんな時が訪れでも自分は冷静でいられるだろうか。。



M夫妻、息子のJUNくん(よく懐いてくれた)のもとでまったり過ごし帰宅。

病院に来てくれた際、奥さんから小説・漫画を差し入れとして頂いたが、その漫画がかなり面白かった。

聖☆おにいさん ブッタとイエスが東京・立川でルームシェア。笑えます
(病室で一人笑う怪しげな患者Y)

出掛ける

再発をしたが、体に異変は感じていなかったので治療が始まるまでは外泊。

それまでは手術をして退院~普通の生活へ、と考えていた自分。
まだ病気の事を伝えていない友人もいた。

退院した後に、実はこんな事があったんだよ!って感じにいずれ伝えようとは思っていたが・・・状況が変わったその頃、自分が想像してたものとは違う形で連絡をする。

この先どうなるか分からない状況。元気なうちにと思い、普段はなかなか会えない友人を訪ねることにする。
友人は突然の申し出を快く受けてくれた。感謝。。今からおいでよ!さすがにそれは難しい・・翌日出発。

埼玉と千葉に行ってこようと思う。自分の話に家族は理解を示したものの母は反対。新たな腫瘍がある状態で一人で旅行に行くなんて危険すぎる・・その通りです・・・。

結局最後には理解を得て出発、わがままな息子をお許しください。。

まずは埼玉、Kくんの元へ。
大宮駅に到着しK夫妻に迎えられる。再発の事も伝えていたので見た目なんの変化もない自分に安心をしていたが、
同時に動揺もしていたと思う。

とりあえず昼食、回転ずしに行き自分とKはビール・焼酎(なんて病人だ・・我ながら思う・・)

その日は埼玉スタジアムでレッズ戦がある日だった。行こうか、思いつきで観戦決定。

今季は残留争いをするまでに低迷しているレッズ。その頃も下位に沈んでいたと思う。
対戦相手は川崎フロンターレ。埼スタはレッズが常に上位にいたころ一度行ったことがある。

水曜日の開催もあってか、観客は以前に比べて激減をしていた。
それでもレッズサポーターの熱さは凄い!試合だけではなくその応援も楽しめる。

試合は前半レッズのシュート0、流れはかなり悪かった。
ところが後半、原口選手のミドル一閃!!その後だめ押しもあり2-0で勝利。盛り上がりました。

ただ、スタジアムに着いた頃、軽い頭痛を感じその後数日間、定期的に訪れる。
抜糸後には感じていなかった症状、もう来たか・・・。
友人との観戦、次は元気な姿で来たいなぁ。また来れるのか?そんな思いも頭を過ぎる。。

少しだけ体の異変を感じるも夜は居酒屋へ。いろんな話をした。

不思議と飲んでいると頭の痛みは感じなかった。
そうか・・これがB先生の言っていたアルコールは脳に良いってことか!・・なわけない。。

K夫妻・そして家族の皆様、大変お世話になりました。
そして遠いところ病院へのお見舞いをありがとう。


レッズVSフロンターレ ハイライト
http://youtu.be/qgAdHjqX41o

放射線科へ

放射線科の受診、O先生の話を聞く。
今もお世話になっていて、とても穏やかな感じの先生です。

治療方法、そして脱毛・宿酔等の副作用、治療後に起こり得る症状の説明。
診察中、B先生がO先生に宛てた文章がPCの近くにいた自分の目にも入った。

「病理検査を待っているが極端に未分化で非常に悪性度が高い。なるべく早く治療を始めてほしい」

こんな内容だったと思います。分かっちゃいたけど・・沈む・・・。

「手術だけでは治らない病気だから」O先生との会話の中でそんな言葉を聞いたが・・・治療すれば治るんだろうか?と思う。それを先生に聞くことは出来なかった。。

その後、照射中に頭が動かないよう自分専用のマスクを作成する。

治療の開始まで10日ほどあったので一旦自宅に帰ることにしました。



~妙な出来物~
ちょうど夏場で外ではサンダルを履いていた、サンダルに菌が付いていたか・それとも単なる水虫か。
自分の足には面白い形で複数のブツブツが出来ていた。

病室で看護師Hさんに発見される「どうしたんですかこれ!?」
いや、多分水虫かと・・(恥)。
引継ぎがあったかその後看護師Sさん「足は大丈夫ですか?」あ、はい。また見せる(恥)

聞きつけた主治医のB先生も登場し「面白い形してるなぁ、写真にとっておきたいよ」その顔はちょっと笑っている。思わず自分も笑う。
市販の薬を使っていたので、とりあえずそのままで。。その後綺麗に治りました。









考える

短期間での再発、悪性の腫瘍。
治療によって一時的に腫瘍の縮小・上手くいけば消失も期待できるかもしれないけど。

長くは生きられないかもな、そんな事を考え始める。

いつかは死んでしまう。分かりきった事で理解もしていたけど、自分にとってそれは普段意識することは無く何十年も先に訪れるであろうものだった。

死ぬことは怖い、人は死んだらどうなるんだろう。
考えても分かるわけもなく。自分なりの答えを見つけるのは難しい。。


人間の儚さを感じたりもする。地球の中で暮らす数十億の人々も100年くらいで無くなってしまう。
そう考えると長い人類の歴史の中でその存在はほんの一瞬なんだなぁ、当たり前のことだけど改めて感じる。



死に対する恐怖と同じくらい恐れたのは病気の進行。

悪性脳腫瘍の場合には、遅かれ早かれいずれは様々な症状が訪れる。
自分の体・思考が蝕まれていく事を想像すると辛く悲しい気持ちになった。




忌野清志郎さん デイドリームビリーバー
http://youtu.be/wCZsjp1zXcw

アジカン・深呼吸
http://youtu.be/BALiiLExUho

術後一カ月 再発

一か月前の手術で取り切れたはずの腫瘍。
MRIの画像を見ると手術で摘出した部分の淵に、大きさ5ミリの新たな腫瘍が出来ていた。

先生の説明
●病理診断がとても難しい状況。腫瘍は非常に未分化である。グリオーマ系の他、PNET(ピーネット)など様々な可能性があるが特定にはまだ時間を要する。

●結果を待ってから治療と考えていたが、再発をした今、これ以上持つことは出来ないので放射線・テモダール併用の治療を始める。治療で起こりうる副作用・リスクの説明。

●正常脳と腫瘍の間には明確な境界線があったんですよね?自分の質問に対し、肉眼でわかる範囲で摘出したが、こうして再発したという事は脳への浸潤が見られる。

●もう一度手術をするという選択肢はないのか?初回の手術で、腫瘍は正常脳を傷つけないようにギリギリの所まで取っている。新たな手術にはリスクが高く、放射線・テモダールによる治療が第一選択となるとの事。

●1か月での再発、極端に未分化な腫瘍。つまり悪性という事になる。先生は言い辛そうだった。


外泊中に治療について調べていたので治療方法・副作用の説明はネットで見たそれと大きな変わりは無かったです。リニアックを用いた定位放射線照射を月~金で行う。一回2グレイを計30回・60グレイの照射。そしてテモダールという薬を朝食の2時間前にのむ。副作用については割愛させて頂きます。

MRIの結果「再発の可能性」という言葉から始まった先生の説明も、後半からは完全に「再発」との表現に・・先生の話を最初はしっかり聞き質問をしていたが、後半になると動揺から耳によく入らなかった。
茫然としてる自分にB先生「Yくん?」あ、はい。大丈夫です。。大丈夫・・ではない。


説明が終わり同席していた母・嫁と談話室へ。
3人それって沈黙。テーブルに嫁の涙が落ちる。帰りのタクシーで母が泣く。。

1か月での再発。この衝撃は大きかったです。




~補足~
この時の説明では看護師Kさんが記録を取っていた。
入院中はその「うふふ・えへへ」といった笑顔にとても癒されました。

看護師さんに非常に厳しいB先生。
夕方、説明中に少しだけ暗くなってくると「電気付けてくれるかな!」厳しい口調。そんなことにも怒るのね。。


術後一カ月 MRI

術後一カ月、病理の結果は相変わらずこない。。

その頃、今後治療を行うことは決まっていたが病理の結果が来ないとその方針も決められず・・県外の大学病院でも判断が難しい自分の腫瘍は、さらに別な病院で染色体・遺伝子レベルでの検査を行っているとの事でした。

一時退院はせず入院患者の扱いだった自分は外泊許可を取って自宅で過ごし、週に一回は病院に戻るという生活を繰り返す。早く結果を知りたいが、知るのが少し怖い気持ちもあった。。

意外となんとも無かった、そんな結果かもよ。
周囲からはそういう話もされた、状況は微妙な感じだが・・一発逆転を期待したりする。

病室に戻って来てはすぐに自宅に帰る自分、同室の方々も結果が来ないことを心配されていた。
だが、徐々に病室の顔ぶれも変わり知った顔も少なくなる。

状況を知らない方からは「お兄さん、優雅な入院生活だねぇ(笑)」とか。
見た目元気そうだし・・そうも見えるかも。笑顔を返すが心は重い・・・。

そして術後一か月のMRI検査を迎える。
体の調子は良く、何の症状も感じないので心配はしていなかった。

検査後、病室に居るとB先生「Yくん、話したいことがある」
もう何回目だろう・・いつもの個室へ・・・。

個室で先生とMRIの画像を見る。

B先生「ここなんだけれど、再発を疑う部分がある」 え・・・絶句した。

画像には一か月前の手術直後にはなかった、小さいけど腫瘍とみられる組織が映っていました。

スマフォ

自宅で病理の結果を待っていたころ、まだ退院は出来ないかもと思い入院グッズとして携帯をスマフォに変えることに。

それまで携帯は通話・メールが出来ればいいと考えていて、もともと物持ちもよく四年以上同じ携帯を使っていた自分にとっては未知の物。。

まずは画面の大きさ・画像の鮮明さに驚く、今までの携帯の三倍だ・・。
タッチパネルはやっぱり楽しい、そして噂には聞いていたがメールはとても打ち辛い・・・。
普段あまりメールをしない自分は気にならないけど、頻繁にメールする人はきついかも。

結果、暇な時間が多い入院生活にはとても役立ちました。


病室や屋上で良く聞いてた曲
くるり-ハイウェイhttp://youtu.be/pNQk_bnt_E4
くるり-ばらの花 http://youtu.be/lgVdcRvcUOs

記事内容とは関係ないけど、たまに乗っけていきます

来ない結果

一時帰宅をしてから一週間後、病院に戻り先生の説明。

結果はまだ来ていなかった。

脳腫瘍には様々な種類があるが、どの腫瘍とも性質が違い判断が難しい。
そしてグレード1の可能性は低く、治療は必要になると思うとの説明。

放射線と抗がん剤の治療をすることに少しずつ心構えを持っていたが、同時にもしかしたら悪い結果ではないかも・・・そんな願望を持ちつつ結果を待っていました。

病院に居てもやることは無いので自宅へ。
体の具合は悪くないけど出かける気もしない、ほとんど外出はせずテレビを見たり・ネットで脳腫瘍について調べる日々。。

そんな自分を見かねて、嫁から気分転換に旅行に行かないかとの提案がありました。

次に病院に戻るまで日にちは少なかったが数日間、奈良・大阪・東京・横浜を巡る。
旅行の話が出た時はあまり気が乗らなかった自分、いざ出発するとかなりリフレッシュできました。
嫁よありがとう。

投げやりって訳ではないけど、この先自分はどうなるか分からないとも考えていたので、この際だからと思い旅先では普段は縁の無い食事・ホテルにグレードアップ。
ただ、旅行中もやっぱり病気の事は考える。この景色や食事をまたいつか元気な姿で楽しめるだろうか?そんな思いがありました。



関西でウーロンハイはマイナー??
2件のお店で頼むも・・取扱いなし。。ウーロンハイ好きな自分には少し残念でした・・。


状況の変化

先生のお話。病理の結果はまだ出ていないが、今の状況を説明するとの事。

●当初、腫瘍は良性の物で病理にも時間が掛からないだろうと考えていたが、そんな簡単なものではないようだ。

●病理の診断をどのように行うかの説明。腫瘍をしらべ元々の細胞の種類にどこまで似ているかで診断をする。

●細胞の分化度の説明、高分化の物は細胞が正常細胞に近く診断も容易で低悪性度。そして未分化の物は細胞の種類が不明瞭で診断が難しい。自分の腫瘍は未分化と診断される可能性があり、その場合は放射線・抗がん剤による治療が必要となる。

●入院中の大学病院では診断が難しく、他の大学病院で診断をしてもらう。一週間くらいで結果がでると思う。

●「自分の命に係わりますか?」質問に対して、今の時点ではわからない。結果がハッキリしない状態で適当なことは言えない。


B先生より「不安でしょうがない気持ちだと思う、いつでも話聞くから」との言葉。

結果が来るまで時間があるので外泊してもいいか聞くと先生は快く了承してくれた。

そして何か気を付けることはありますか?との質問に「今の時点では何もない」との事 

自分「お酒はだめですよね・・」この場でこの質問・・酒飲みな自分。。 
B先生「飲んでいいよ。飲みすぎは駄目だけど、アルコールは脳にいいからね」飲んでいいんだ。。

もちろんショックを受けたが、話しを聞いてしばらくは意外と落ち着きもあった。
話の内容はしっかり理解したものの、自分が置かれた状況にまだ実感が湧いてなかったのかと。。

その後、病院に来た母と実家へ。状況を説明してしばらく話した後、自宅へ。

久々の自宅で横になり休んでいると、先生の話を実感してきたか・・・涙。

まだ結果は出ていないけど、間もなく退院と考えていた自分にこの話しはきつかったです。
手術後に文字が読めるようになり脳腫瘍について少しは学んでいたので、悪性の場合に予後が悪いことは分かっていました。

しばらくして仕事が終わった嫁から電話。
少し気持ちは落ち着いていたが、嫁の声を聞くとまた辛くなり上手く話せなかった。
自分の様子がおかしい事に気づき急いで帰ってくる嫁。

嫁の前で、というか人前で涙を流すのはいつ以来だっただろう。。
家に帰ってきた嫁に状況を説明しながら、自分は泣いていた。


その後、とりあえず飲みました。。

病理結果を待つ

術後一週間で抜糸を行い、あとは病理結果を待つのみ。
無事に手術が終わり症状も改善した事に安堵し、落ち着いた気持ちで過ごしていました。

先生には結果が来たらすぐ退院していいよ言われ、自分もその気でいた。。
お見舞いに来てくれた友人・同僚や上司も自分の元気な姿に安心され、回復の速さに驚いていました。

退院をしたら一か月くらいゆっくりしてその後復帰かな。退院後の予定を立てたりする。

その後、なかなか来ない病理。B先生・T先生ともに最初のうちは、もう少しで来ると思うよと軽い感じ。
さらに数日たち、しっかりと詳しく検査してるようだから心配しないでとの説明。

少し遅れてるくらいかなぁと思っていたが、自分に状況を伝える先生の様子も徐々に変わってきたような気がする。

そして術後二週間が立ったある日、病室に居るとB先生「Yくん、ちょっといいかな」その表情は硬い、二人で病棟の個室へ。

看護師のたまご

入院していた大学病院では看護実習に多くの学生が来ていた。

看護学生も各々入院患者を担当する。
入院2日目くらいにYさんという女性が担当になった。

体温や血圧の確認、要望を聞いたり。病室や屋上で雑談などをした。
まだ二十歳くらいだったと思うけど、Yさんはしっかりと将来を見据え勉強に励んでいました。
その頃の自分と比べると・・大違いだ・・・。

手術も見学すると聞いていたが、手術後2日ほど姿を見かけなかった。
じっくり見て勉強してね、そんな話しをしていたが脳の手術を見るのは初めてと言っていたし、もしや衝撃を受けて体調でも悪くしたか・・・。そんな心配をしたけど、土日で休みだったとの事。。
手術の様子などを教えてもらいました。

Yさんの実習期間は2週間ちょいで、最終日はちょうど自分も退院できるであろう頃だった。
お互いそんな話をしていたが、その後状況が変わり退院のめどが立たない自分を心配されていた・・・微妙な感じでお別れ。

きっと今も看護師を目指し日々がんばっているだろう。お世話になりました。
Yさん、その後だいぶ掛かったけど無事退院できたよ。いつか伝えられればと思う。
(ど、どちら様ですか??・・あるかも・・・)

一般病棟へ

ICUから一般病棟へ。
病室の皆さんにお疲れ様~と迎えられ帰還。ICUではほとんど眠れなかったので戻って来た時はほっとしました。

病棟に戻った後、レントゲンの撮影へ。時間をかけない為か救急センターで撮影することに。
車いすでエレベーターに乗った際、手術後初めて自分の顔を見ると左半分がだいぶ腫れていました。

救急センターに入ると室内では痛みを訴え叫び続ける男性の声。
T先生「すごい時に来てしまったな・・」 たしかに・・・。


いま思うと手術後の自分には焦りがあり、1日でも早く回復しなければと考えていました。
一般病棟に戻った日に導尿を外してほしい・立ち上がることも出来ます、等々。自分のわがままに先生や看護師さんも困っただろうな。。反省

手術当時には頭の痛みを感じなかったが、翌日以降は痛みに苦しみました。
頭は痛いし・熱も下がらない。座薬を打ってもらうと楽になるが、効果が切れるとすぐに熱・痛み。
熱は徐々に下がってきたが、頭の痛みは続きロキシニンで痛みを抑える。術後3日間は結構しんどかったです。

失読の症状は術後3日間変わりなく、新聞を読んでもうまくは読めない。
先生には焦らず行こうと言われていたけど良くなるのかなぁ、少し不安に。

術後4日目、T先生に新聞を渡され読んでみる。
あれ?読める!? なんの前触れもなく症状は改善しました。よかった。。

症状が改善した日、ちょうど教授の回診があった。

教授は手術中に撮った写真を見ながら「こういうのやってるんだ」
B先生「はい」 こういうのってどういうの?手術方法の事かな。。
教授「グリオーマならこういう残し方はしないよな」 
B先生「境界線もありました、グレード1か2くらいだと思います。失読の症状も改善しました」
こんな感じだったと思います。

その日以降、文章は普通に読むことが出来るようになり、徐々にですが体も回復してきました。

大体1週間~10日間くらいで病理の結果も出るだろう。退院は2週間後くらいかなぁ。
その先に訪れる「まさか」の連発はこの時点で想像もしてませんでした・・。






ICU

手術後に目覚めたあと、数時間眠る。

次に目覚めた時には意識はだいぶハッキリとしていました。

頭の痛みはないけど、とにかく喉が渇いたのを覚えています。
看護師さんに伝えるも水分はまだとれず唇を濡らしてもらう程度、これだけでも楽になる。

しばらくしてB先生現る「おぉ、もうスッカリ目が冴えちゃったかぁ」

B先生は手術後に撮った画像を見せてくれた。
腫瘍はきれいに無くなっていて、その部分は空洞になっている。

気になっていたことを質問「良性・悪性はどうでしょうか?」
先生の見立てでは悪性の物ではなく、グレード1か、行っても2くらいだろうとのお話。
もちろん詳しくは病理検査を待たないとなんとも言えない。
失読の症状は改善すると思う、ただ手術後は脳の腫れがあるから焦らず行こうとの事。

脳腫瘍ではステージという言葉ではなく、グレード1~4で悪性度を分類します。
確定にはまだ早いけどホッとしました。文字も読めるようになるはず。

喉の渇きを伝えると冷たいお茶を用意してくれた。う、うまい・・生き返った。。
その後は、B先生・T先生が数時間おきに様子を見に来てくださいました。

目覚めたあとしばらくは何の異常もなかったけど、数時間後に発熱を感じる。38度後半の熱がずっと続きました。
これは体が傷を治そうとしてるからで、しょうがない。最初はアイスノンを使っていたが、見かねた看護師さんが氷枕を数個用意してくれた。助かりました。

それでも発熱による汗・体のだるさは治まらず、二回ほど着替えをしてもらう。
そして夜中には痛みではないけど、自分の脳に何ともいえない感覚をあじわいました。

ICUでは三時間おきに自分の状態を確認されました。
体温・血圧・瞳孔の検査、手足が動くか。
そして氏名・年齢・ここはどこですか?等々聞かれる。
覚えているのは、今日は何日ですか?の質問に対して、時々ちぐはぐな回答をしていた事。
その他の質問は問題なかったけど、日付だけは微妙な感じでした。

自分の隣には年配の男性が入っていた。たぶんその男性の娘か親族なんだろうけど、目を閉じて休んでいると中年女性の声が聞こえてきた。
「あんなに若い子でも脳の病気になるのね、あの人は長くかかるの?」看護師さんにあれこれ質問。多分自分の事。
当然看護師さんは答えないし、困っていたと思う。 おばちゃん・・おもいっきり聞こえてるよ。。。

熱は翌日になっても下がらず、けっこうキツイ一晩を過ごしました。

翌日、発熱以外に問題がなかったので病棟に戻ることに。
T先生付添いのもとCTの検査、異常なし。

その後、座薬を打ってもらい熱はかなり楽になりました。

病棟に戻る前に体を拭かれる。
綺麗な看護師さん二人がかりでまさに全身を。。い、いかん。。。心を無にしてやり過ごす。。。。(失礼しました・・)

その後、病棟の看護師さんが自分を迎えにくる。
ICUの皆さん、一晩だけどお世話になりました。

手術

手術当日。

もちろん朝食は抜き、手術着を着てその時を待つ。
時間が来てT先生、看護師さんと手術室へ。

家族が来れるのは病棟のエレベーターまで。病室からは歩いて向かったのでテレビなのでよくある、ストレッチャーに乗せられ家族と手を取り合い手術室へ・・・なんて事はありませんでした。
エレベーターに乗り込み、いってきま~す。手を振って出発。

手術室のフロアには多くの部屋があった、しばらく歩き手術を受ける場所へ。
室内には前回書いた壮大な音楽が流れていました。おぉ、これなのか。。

麻酔の先生を始め、4~5名くらいの方に挨拶をされる。今日担当させて頂く〇〇です(コンタクトを外していたので、近視の強い自分には顔すらよく分かりませんでした・・・)

手術台に横になりマスクをあてられ、これから麻酔をしますとの事。
左の手首に麻酔を打たれるとピリピリとした感覚が手首から二の腕にかけゆっくりと上がってくる。

その途中で少し息苦しくなり咳き込むと「麻酔によるものだから大丈夫ですからね」との説明。

あぁ、そうなんだと思い、ピリピリが二の腕を越えたと思ったあたりに気絶。
初めての全身麻酔は想像していた徐々に眠くなるものではなく、まさに気絶でした。

自分の感覚では眠った、と同時に覚醒。
「Yくん、終わったよ~」ぼ~っとした感じで目覚める、そこにはB先生の姿が。麻酔の影響かしばらくは視野がとても狭かったです。
少したってB先生にスポーツ新聞を見せられ症状の確認をされたが、その時点では変わりありませんでした。

一度に大人数は入れないICU、嫁と母が来た。
B先生「Yくん、この人はだれ?」 自分「母と嫁です」

「お疲れ様、全部取れたって。完璧な手術だったって」安心した表情をしていた。自分も安心をする。
手術室に向かってから約7時間、自分にとっては一瞬だったけど待っている家族にはとても長く、心配を続けた時間であっただろう。無事に生還しました。

手術あれこれ
●地震とかあったらどうするんだろう?手術前にそんな事を思ったが、同僚によると手術中と思われる時間帯に軽い地震がありビビったらしい。

●開始間もなく、病棟で待機してた家族に「至急、ICUに来てください」との放送。
心配性の母は、何かあったのか?と思い焦って駆け付けたら、ただの説明だったとの事。

●ICUで家族が来るのを待っているとき、B先生は疲れからか自分のベッド脇にしゃがんだ状態でうつむいていたらしい。ICUに入りその姿を目撃した嫁は「だ、駄目だったんだ・・・」と勘違い。 等々

手術まで2

手術前日。ICUの看護師さんによる説明、そして麻酔科を受診。
麻酔科の先生には主に麻酔によるリスクを説明された。

少し面白かったのは麻酔科の説明で、手術室で好きな音楽をリクエストできるというもの。そんなサービス?があったとは。
でもすぐに眠っちゃうしな・・・音楽はお任せしました。

ちなみに当日流れていた曲は映画・アマルフィのあれでした。

http://youtu.be/zH2COl6bf5k

前日は男性の入浴日ではなかったが、翌日手術なので入浴。
シャンプーしつつ、明日以降は傷跡ができるなぁ。。さよなら真っ新な自分(すでに汚れてると思うけど・・)

夜に食堂で嫁と話しをしていると、B先生登場。
「Yくんここにいたのかぁ、明日はキッチリやるからね」いい笑顔を頂きました。
もし眠れなければ眠剤を出すし極端な話、手術に問題はないから寝なくてもいいよ。
とのお話

良く眠れるよう眠剤を出してもらい、当日を迎える。

手術を受けるにあたり不安はありました。
麻酔により意識を失い、その後目覚めた時に自分はどうなっているのだろう?
手術中に万が一のことが起こればそのまま目覚めないかもしれない、等々。

手術まで

手術までの三日間、特にやることは無かった。
たまに感じる軽い頭痛・やっぱり不具合のある読書と付き合いながら過ごす。

朝6時に起床。7時過ぎ・12時・18時、しっかり食事をとり21時には消灯。
それまで夜勤が多く、食事・睡眠共に不規則なリズムで暮らしてきた自分にとって、慣れるかどうかの不安があったが意外とすんなり溶け込めました。ただ、同室の方々のいびきは少し辛かった・・耳栓を買わねば。。

外の空気を吸いたいときには病院の屋上へ。
入院生活中、この屋上にはよく行ってました。ぼ~っとしたり、音楽聞いたり。
夏場は日にも焼け、同僚からは入院前より顔色がいいとの言葉。一応・・病人です。。

手術までの数日の間に、入院を聞いた多くの同僚がお見舞いに来てくれました。
自分の症状や悪性の可能性もある状況に心配するも、見た目には何の変りもなくいつも通りくだらない冗談を話す姿に少し安心もしたようです。絶対良性だよ・手術頑張ってと励ましの言葉を頂きました。感謝

入院

入院日に手術の説明があったので、父・母・嫁も病院へ。

病棟に行き看護師さんに説明を受ける、説明してくれた看護師のTさん。
Tさんには退院の際にも説明を受け、その時は入院時を思い出しなんだか感慨深かった。

自分の病室は7人部屋。第一印象は・・思っていたより狭いな・・・。
着替えなどを片づけて腰かけたと同時に隣の男性に話しかけられる。お兄ちゃん、どこも悪そうじゃないけど何の病気で入院したの?に始まりマシンガントーク炸裂・・最初は気にしなかったものの徐々に、ちょっとめんどくさい・・・どうなる入院生活。。

この男性、60代のTさんは自分と同じく脳腫瘍で入院されていた。
初日は面食らったがその後、分からないことを親切に教えてくれたり、手術を迎える自分を気遣って頂いた。
一見豪快な感じだけど周囲への気遣いをされる方だったTさん、お世話になりました。

B先生、もう一人の担当医T先生より手術の説明。(今回、Tさんが多い・・・)

画像を見ながら腫瘍がどのような部分にあるか、手術の方法、リスクなどの説明。

主なところでは。やはり、失読の症状については回復するかどうか分からない。
難易度は高くないが近くに大切な静脈があるので細心の注意を払って取り掛かる。
見た目は良性だが、良性の物は形がコロッとしている。自分の腫瘍は一見丸い感じだが、よく見ると一部ギザギザした部分があるので腫瘍を残さず、全摘を目標とする。

説明を受け、何枚かの用紙にサインをする。

脳の手術。。やはり不安な両親は先生にいくつかの質問をする。
B先生の印象的な言葉。
静脈付近の手術について「大丈夫です。この技術に不安があるなら私はこの大学病院で手術をさせてもらえません」「息子さんは元気に退院出来ると考えています」
淀みのないしっかりした口調、まっすぐな視線に両親・嫁、そして自分は安心しました。

手術までは3日間ある。それまで何かすることはありますか?
自分の質問にB先生、前日に麻酔科の受診があるけど他には何もないから、一旦帰ってもいいよ。 
え?そうなんだ。帰っていいと言われても・・・病院で過ごすことにしました。

検査結果

検査の翌日、B先生のもとへ

B先生「Yさん、調子どう?」

自分「文章の読みは変わりありません。ただ、ここ数日頭痛の頻度が増えています」

B先生「そうか~。」

その後、6枚くらい並べられた画像を見ながら先生の説明を受ける。
失読の症状について、画像を険しい表情で見つめながら。

B先生「しょっぱいな~」 え?

先生の説明
●手術によって頭の痛みは良くなる。人の話を聞く・言葉を話す・手足の機能。そういった部分に後遺症が残ることもない。

●出来物は読書の機能を司る部分にもろに出来ていて場所が悪い。手術をしても機能が回復するかは分からない。

●MRIの結果、視神経がかなり圧迫されている事が分かった。両目共に右半分が見えづらいのではないか?一度眼科で検査をしてほしい。

入院日や手術日もその日に決まりました。
失読の話で動揺している自分を察してか
B先生「不安があるだろうけど、キッチリやるから」揺れが少し治まった。

その後、眼科受診。
診察前の待ち時間、廊下に貼ってあった記事を眺めるも文字はうまく読めない。
あぁ、自分の症状は治らないのかな。それまで手術すれば治ると思っていたので先生の話には結構落ち込みました。付添いの嫁もそんな自分を察して心配そう。

眼科で視力や視野の検査。視力は問題なし、視野に関しては右側の視野にほんの少しだけ狭窄があるが、気にするほどではないとの事。

そして入院へ


もし失読の症状が治らなかったら。その頃何回か考えました。
とりあえず今の仕事を続けるのは難しいだろう。文字が分からなくてもよい仕事、考えればいくつか頭に浮かぶけど何やろうかな。

まぁ色々苦労するだろうけど仮に文字を失っても何とかなるだろう。訓練によって覚え直すことができるかもしれないし。。
最終的にそんな気持ちになっていました(けっこう楽観的な部分を持っています)

検査

午前中に大学病院へ向かいまずは脳波の検査。

午後にタクシーで移動し研究施設へ。ファンクションMRIという検査を行ないました。

この検査ではMRIを撮りながら事前に渡されたボールを握ったり、数を1~10まで数える。「あ」から始まるしり取りを続けるといったものでした。

事前に担当の先生から内容の説明をうけ、声に出しながらの練習。
実際には声には出さず指示に対して自分の頭の中で考える。

検査により、自分が手を動かしたり思考をする際に脳のどの部分を使用しているかを調べ、より安全な手術が行えるとの事でした。

大体3~4時間、休憩を挟みつつ3回の検査。結構応えました・・。
ボールやしり取りの検査より、その後の撮影の方が長ったような気がします。
より詳しい画像を得るためだと思いますが、長い時で1時間くらいMRIに入りっぱなしだったと思います。

帰り際には少し具合が悪くなっていました。

翌日、先生の診察へ。

検査までの日々

次の検査までの数日間、病気を発症した日に感じたほど強くはないが朝目覚めた時に頭痛がありました。
これは脳腫瘍の典型的な症状のようです。先生には市販の薬で構わないと言われていたのでバファリンで対応。
日中も少し頭が疼くことがあったけど薬で治まる程度でした。

検査までの日々。仕事には行けないし遊べるわけでもない・・することがない・・・暇人。。

その当時の自分は読み書きが不自由になっていたので本を読んだり、ネットをみたりも出来ず・・・。
ただ、そのお蔭で?脳腫瘍がどのような病気か詳しく知ることも出来なかったのでその部分だけ考えればある意味良かったのかな。

テレビをみたりDVDを借りてきたり(邦画のみ)入院グッズとしてPSPを買いに行ったり。
PSP。FFやグランツーリスモ、メタルギアソリッドなどを購入。文字を上手く読めないからその時点ではグランツをやり、あとは手術後にやろうと。。(治ること前提)

スカパーの無料お試し二週間ってのがあったので申し込んでみる。
受付の女性に氏名・住所・電話番号などを伝えると、氏名の漢字を聞かれる。
名前の説明で問題発生・・説明ができない。。
自分「・・・」

お姉さん「・・・」

自分「ちょっと漢字を思い出せなくて・・・」
そう伝えるとその女性は、自分の名前でよくある漢字を次々と挙げてくれた。
ただ、それを言われても自分の頭に思い描くことができない。困った・・。

自分「実は今病気で・・」

お姉さん「そうなんですか!?すいません」 いえ、こちらこそ、すいません。。
結局、平仮名で登録をするのでOKとなりました。お姉さん、ありがとう。

それまで人との会話は問題ないと思っていたので、日常生活で感じたこの支障に若干へこむ自分がいました。


日中を一人で過ごしていたので、やはり家族は心配。
仕事に行っている嫁や実家の母からの定時連絡に「異常ないよ」と答える日々を送っていました。
(まぁすでに異常だけど・・)

報告

次の検査まで10日ほど期間がありました。

今後の方針がある程度見えたので、両親への報告。

実家に訪れた時、父はまだ仕事から戻っておらず母と話す。

「実は報告したいことが・・・」最初、母は子供が出来たのかと思ったらしい。

これまでの経緯、今後検査を行いその後手術をすることをゆっくりと伝える。

話をする前は取り乱すんじゃないかと思っていましたが、母は冷静に聞いていました。
息子が見た目には何ら変わりなく会話も普通にしているのを見て実感もわき辛かったのかもしれません。
その後の手術・治療でいつも心配し、心を痛めた事を思うと申し訳ない気持ちになります。

会社に行き同様の報告をする。
直属の上司は脳腫瘍について多少の知識を持っていて、すこし先読みできる感じで自分の説明を理解していた。
仕事に対して非常に厳しく普段は若干ビビりつつ接していたが、脳の病気になりながら今の状況で済んでいるのは良い方だし手術で治るはず。今まで休みもあまり無かったんだから、休暇と思いながらしっかり治してくるといいと温かい言葉を頂きました。

話を聞いた同僚は皆絶句。。自分の症状は仕事の疲れや精神的な物ではないかと考えていて、脳の病気で手術をすると想像した人はいなかったようです。まぁ数日前まで普通に働いてたんだからそう思うわな・・・。

職場からの帰り際。直属の上司よりもうちょい上の方と偶然会い、話をする。
この方は基本、体育会系な感じ。仕事の方法でブチ切れられたことが過去に数回あった。
色々話をしだいぶ驚かれていたが、良性だろう、ゆっくり休んでまた戻ってこいとのお言葉。
入院中も数回お見舞いに来ていただき、入院が長引き会社にいつ戻れるかは分からないという自分に対し、待ってるから、しっかり治してもらえとの熱い言葉。今も気遣ってもらっている。感謝

大学病院

画像と紹介状を受け取り、大学病院へ。

お見舞いで訪れたことは何度かあったが、まさか自分がお世話になるとは・・。

診察して頂いた先生に自分の病状を一通り話す、詳しく検査をしたいので造影剤を使用してMRIを行ってほしい、そして午後に担当の先生の外来となりますと説明されました。

造影剤の使用により稀に副作用が生じるが、その場合はしっかり対応します。
先生から事前に説明をうけて同意書にサイン。

MRIの途中に造影剤の注射をされたが何も問題はありませんでした。

そして午後に担当医の診察。
今もお世話になっているB先生とのご対面(ねるとんか・・古い。31歳・脳腫瘍です・・・不謹慎)

自分の症状を話した後、先生からの説明。

●左脳の側頭葉に出来物があり摘出手術を行う必要がある。難易度は中の下くらい。

●病気の種類については手術後の病理検査で詳しく分かるが、神経膠腫だと思う。
以前は事前に病理検査を行うこともあったが、少し危険性があり今はスタンダードではない。

●神経膠腫にも多くの種類があるが、画像を見たところ悪性度が高いものではなさそう。ただ、良性のものは症状も緩やかに現れる、頭痛・失読の症状が一気に現れたのは少し気になる。

●失読の症状について、出来物があるのは読書の機能を司る部分。ふつう腫瘍というものは出来た部分の機能を残さず食ってしまう。日によって調子の良し悪しがあるのは・・う~ん。

●手術は6月の上旬から中旬に行うが、事前に脳を更に詳しく検査するため高精度のMRI検査を受けてほしい。国からの補助がでる研究施設なので、交通費・検査費用はかからない。

大体こんな感じだったと思います。

B先生は40代後半の男性で、しっかりと自分の目を見据え説明される方でした。
雰囲気はドラマ・救命病棟の江口洋介さんのような感じでしょうか。

質問に対しても丁寧に分かりやすく答えて頂き、この先生は信頼できると思いました。
一緒に話しを聞いていた嫁も同じように感じたそうです。








プロフィール

リリー

Author:リリー
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。